2015年8月8日土曜日

青木先生の授業を見る②

 青木先生は、「フレームリーディング」という読みの授業方法を提案している。
 「フレームリーディング」について、最も強調されている特徴は「文章を丸ごと読む」ことである。
 指導案では、「フレームリーディング」提案の背景となる現状の問題点への批判が2点示されている。
 1点目。「文章を丸ごと読むことで見える『つながり』に気づいてこそ、その文章が『読めた』と言える」のに対して、「段落ごと、場面ごとえに切り刻んで読んだのでは、肝心な論理や伏線(=「つながり」)が見えてこない。」
 2点目。国語の学年ごとの授業時数は、小学校では「997755」、中学校では「443」である。「中学3年生では、週3時間の国語の授業で現代文を読み、古文を読み、漢字や文法的言語事項をこなさなければならない。指導者は大変である。当然授業は、短時間で丸ごと読んで、筆者の主張は何だとか、作品の主題は何だという投げかけになる。小学校で場面ごと段落ごとに丁寧に読む授業しか受けてこなかった子ども達は、このギャップについていけない。」
 ここで、青木先生が批判の対象としているのは、小学校における【場面ごと段落ごとに切り刻み丁寧に読む授業】しか受けさせていない「現状」である。
 こうした批判対象は、近年の「単元を貫く言語活動」の提案において批判されている【無目的に場面ごと,段落ごとに平板に読み取らせる指導】と一致する。
 そこで、私が疑問に思ったのは、はたしてこうした「現状」が広く存在しているのか、ということである。
 自分の知見の及ぶところでは、教科書会社の作成した指導計画に基づいて自校の指導計画を作成する学校が多く、教科書会社の作成した指導書によって授業を行っている教師が
多い。教科書会社では、当然【無目的に場面ごと,段落ごとに平板に読み取らせる指導】を推進するはずはない。
 また、私の回りでは、「単元を貫く言語活動」に取り組む学校が増えている。
 自分の知見の範囲、それはごく限られている範囲で安易に一般化できないが、そこから実感する「現状」の問題は、【場面ごと、段落ごとに平板に、あるいは丁寧に(「詳細に」と言っていいのかもしれない)読み取らせる指導】とは別のところにある。

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