2011年2月18日金曜日

青山由紀先生の授業を見る③

どのようなことばの力をどのような学習活動・言語活動で活用させ習得させていくのか。つまり、「何を」「どのように」使わせ身に付けさせていくのか。

どのようなことばの力をどのような学習活動・言語活動で活用させ習得させていくのか。つまり、「何を」「どのように」使わせ身に付けさせていくのか。

昨日は、「何を」について、青山先生の授業から学んだことを書いた。
今日は、「どのように」について書く。

ずっと前、青山先生のワークショップで、総合(生活科)での「自分の誕生・成長」についての単元の話を聞き、いたく感銘を受けた。
「どのように」単元を、そして学習活動を構想するか、自分には全くそれができなかった。
先生の構想を聞き、自分には及びもつかないセンスのよさ、実力に驚き感動した。

今回の授業でも、やはり先生の単元や学習活動の構想に素晴らしいと思った。
しかし、その素晴らしさを自分は把握しきれず、うまく説明できない。
断片的になってしまうが、自分がいくらかわかったことを書き留めておく。

◆学習材の提示について

青山先生は、学習材となる文章を、二通りの仕方で子どもたちに与えている。
ひとつは、教科書である。ここには、挿絵がある。
もうひとつは、ライオンの赤ちゃんの意味段落の下にシマウマの赤ちゃんの意味段落を並べたプリントである。

授業後、先生の説明を聞き、挿絵の必要性についてあらためて認識させられた。
例えば、子どもたちは、ライオンにはたてがみがあるというイメージを持っていて、多くの子は母親にもそれがあると思っているらしい。そうした誤ったイメージを正すためには、挿絵が必要なのだ。
文章だけではイメージできないことを理解したり、文章の内容を挿絵と結びつけてより確かに理解したりするために、低学年では特に挿絵は重要なのである。

こうした教科書での内容的な理解の土台の上で、ふたつめの学習材が提示された。
上下に並んだ文章は、おのずと比較を促し、「述べ方」の特徴に気付かせる。
子どもたちは、両者の同じ書き方、同じ言葉に気付くだろう。そうすると違う言葉も目に入ってくる。
このように学習材の工夫が学習活動を促すのである。

◆単元の構想について

今回の授業の単元構想の概略は次のようになっている。

第1次 教科書教材「どうぶつの赤ちゃん」を読む。
第2次 「どうぶつ赤ちゃんクイズ」を作って、交流する。
第3次 「どうぶつの赤ちゃん」図鑑を作る。

第1次の学習内容に、「単元の見通しをもつ(第2次までの活動の終末を理解する)」とある。
子どもたちに学習の見通しを与える、これは学習指導要領でも強調されていることである。
ただ僕には、(第2次までの活動の終末を理解する)の部分がぴんとこなかった。

授業後、これに関わる先生の話を聞き、目から鱗であった。

教師が単元の最終に「書く活動」を用意しているからといって、必ず子どもたちもそこまで見通さなければならないのか。
書く活動を最終目的として示されると、書くことが苦手な子は学習への意欲が持てなくなることがある。
そうした場合、学習が進み、題材についての子供の興味が醸成され、書く活動の準備が整う間をとる。その上で書く活動へ移行するのがよい。

ただ闇雲に子どもたちに見通しを与えればいいわけではないのだ。学習の見通しをもつことの意義は、子どもたちが主体的に学ぶためである。
そのためには、教師が学び手としての子どもたちをしっかりと理解し、それに基づいて単元を構想しなければならないのだ。

◆学習活動について

本時では、教師が教材文の一部から作った問題文を出し、それがどの赤ちゃんのことかを子どもたちに答えさせるという活動を行った。

例えば、「生まれてしばらくすると、自分で草も食べるようになる」という問題があった。
この文には、「シマウマ」にも「カンガルー」にも該当してしまう。
子どもたちは、おのずと問題文の不備を考える。
そして、「しばらく」ではなく、はっきり時を特定できる言葉でなければならないと気が付く。

こうした活動は、教師が意図する「ことばの力」をおのずと使わせる言語活動になっている。

また、学び手への配慮もそこにはある。
単元では子ども自身が問題を作る活動が用意されているのだが、子ども自身が間違いや失敗を指摘されることは、子どもの意欲をそこなう。
その一方で、教師の間違いや失敗を指摘することには、子どもたちは意欲を燃やす。
子どもたちの意欲を掻きたてながら、子ども自身の活動への準備を進めているのである。


まだまだ書ききれないことがある。
今の自分には咀嚼しきれない。
でも、最後にひとつだけ書いておきたいことがある。


授業前、青山先生がちらりと「ほとんど崩壊状態」というような言葉をもらしていた。
その言葉の真意は、僕にはわからない。
そして、実際の授業がその言葉通りであったのか、僕にはわからない。
もし先生の構想の実現に問題が生じたとすると、その要因はマイナスのものではないのだと思う。
多くの子どもたちが、単元の活動を自発的に先取りしていた。
この日の授業で先生が用意した自作の「パンダの赤ちゃん」のリライトと同様の文章を書いてきた子もいた。
子どもたちは、先生の構想を超え出していたのかもしれない。
もし先生の構想や授業に失敗があったとすると、それはむしろうれしい誤算なのだと思う。
そして、それは、子どもたちの学びを中心に据える青山先生の授業の本質にとっては、まさに成功なのかもしれない。

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