2014年2月2日日曜日

「ヒロシマのうた」場面分け5

前回は、第2の時「戦争が終わって七年目」の部分の場面分けを行った。
「わたし」と「ミ子(ヒロ子)・母」との再会後の部分を場面8としてたが、修正する。
次のように、再会後の部分を場面8と場面9の二つに分ける。

場面8
始 「そのときの、何かヒロ子ちゃんの暗いかげが、いつまでもわたしは気になりました。」
終 「わたしは、できれば、いなかの家を出て、ヒロ子ちゃんと二人で暮らすことができないものだろうかと思い、そのことを書き送りました。」
場面9
始 「すると、その年の暮れ、ヒロ子ちゃん親子は、広島を出て、小さな洋裁学校に住みこみで働けるようになったという手紙が来ました。」
終 「わたしもいつかヒロ子ちゃんのことを、忘れていくようでした。」

ここでは、全体の場面分けが終わった後に、場面ごとの一文要約を載せようと思うのだが、実際の作業では、場面分けとともに一文要約も行っている。
再会後をひとまとまりにして要約しようしたが、うまくいかなかったのである。

場面8と場面9の間には、「その年の暮れ」という時の変化がある。「わたし」の回想において、「その年の暮れ」が「ヒロ子ちゃん」をめぐる記憶のひとつのターニングポイントになっている。
再会後、「わたし」は「ヒロ子ちゃんの暗いかげ」が気になる。そして、「ヒロ子ちゃん」の置かれた辛い状況を知る。「その年の暮れ」、二人の状況に大きな変化があり、その後「わたし」は「ヒロ子ちゃん」のことを忘れていく。「わたし」にとって、「ヒロ子ちゃん」は「気になる」状態から「忘れていくよう」な状態に変化していく。

場面を一文に要約しようとすると、「時」「場」「人物」とともに出来事などの内容の検討が必要になる。
 
場面は、形式的なものではなく、内容的なまとまりであろう。
「時」「場」「人物」は、重要な指標だが、出来事などの内容的なまとまりを検討することも場面分けでは、必要になってくる。「いつ」「どこで」「だれが」-「どうした・どうなった」、基本的に場面はこのような形で要約されると思う。

一文要約がうまくできるかどうかで分け方の妥当性がわかるのかもしれない。

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