作品の冒頭、「全く、豆太ほどおくびょうなやつはいない。」といきなり語られる。さっそく《豆太=おくびょう》と印象づけられる。
「もう五つになった」のに、「夜中には、じさまについてってもらわないと、一人じゃしょうべんもできない」という。表のせっちんに行くと、「モチモチの木」が「わあっ!」とおどすらしい。
そんなおくびょうな豆太が、はらいたで苦しむじさまのため、真夜中、医者様を呼びに峠の坂道を駆け下りる。おくびょうな豆太が勇気を出す。大きな変化である。
その姿は、次のように語られている。
外はすごい星で、月も出ていた。とうげの下りの坂道は一面の真っ白いしもで、雪みたいだった。しもが足にかみついた。足からは血が出た。豆太はなきなき走った。いたくて、寒くて、こわかったからなあ。
でも、大すきなじさまの死んじまうほうが、もっとこわかったから、なきなきふもとの医者様へ走った。
これは、確かに《勇気》ある姿かもしれない。しかし、豆太が《恐怖》を感じなくなったのではない。
いつも夜に「モチモチの木」が「空いっぱいのかみの毛をバサバサとふるって」おどすように、この夜も「しもが足にかみついた」のである。痛さも寒さも恐怖心とないまぜになっている。そして、もっとこわいものがあった。「大好きなじさまが死んじまう」ことだ。
ここで豆太を突き動かしたのは、いつもと同じ、いやそれ以上の恐怖だった。《勇気》という言葉によって、豆太の《恐怖》を見逃してはいけない。
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