自然の中で
モチモチの木ってのはな、豆太がつけた名前だ。小屋のすぐ前に立っている。でっかいでっかい木だ。
「とうげのりょうし小屋」での豆太とじさまの暮らしは、「りょうし」として命がけで生活の糧を得ながら、「一枚しかないふとん」で二人いっしょに眠るものである。二人の暮らしは、自然の中で、小さくつつましく営まれるものである。
それに対して、「小屋のすぐ前」に立つモチモチの木は、「でっかいでっかい木」である。
秋になると、茶色いぴかぴか光った実をいっぱいふり落としてくれる。その実をじさまが木うすでついて、石うすでひいて、こなにする。こなにしたやつををもちにこねあげて、ふかして食べると、ほっぺたが落ちそうなほどうまいんだ。
「やい、木い、モチモチの木い! 実い、落とせえ!」
なんて、片足で足ぶみして、いばってさいそくするくせに、夜になると、豆太は、もうだめなんだ。
「お化けえ!」
って上からおどかすんだ。夜のモチモチの木は、そっちを見ただけで、もうしょんべんなんか出なくなっちまう。
物語の後半、医者様が語ったところによると「モチモチの木」とは、「トチの木」らしい。それを、豆太が「モチモチの木」と呼ぶのは、どうやらその木が「ほっぺた落ちそうなほどうまい」モチを与えてくれるかららしい。
モチモチの木は、二つの顔を持っている。食べ物=生活の糧=恵みを与える昼の顔と恐怖を与える夜の顔である。
豆太のおとうは、生活の糧を得るために「くまと組みうちして、頭をぶっさかれて死んだ」。生活の糧を与えるものであった「くま」が死を与えたのである。
人に生を与えもし、死を与えもするのもの。光でもあり闇でもあるもの。昼の顔と夜の顔を持つもの。
それが自然である。
峠の猟師は、そうした自然の中で、自然とともに暮らすのである。その暮らしは小さく、自然はとてつもなく大きい。
夜のモチモチの木を恐れる豆太は確かに幼く思える。また、昼のモチモチの木に「いばってさいそく」する豆太も同じように幼く思える。
しかし、この二つの態度は、大きな自然の中で暮らす小さな人の存在の在り方に深く根差したものである。
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