2014年1月28日火曜日

「ヒロシマのうた」場面分け4

第2の時、戦争が終わって7年目の部分を場面分けしてみる。

この部分は、次の3つの内容を持つ。
①ラジオのたずね人をきっかけに、赤ちゃんを預けた家族と連絡をとり、7年間の消息を知る。
②広島で1年生になったミ子(ヒロ子)と引き取ったお母さんと会う。
③その後の二人の消息を知る。

①→②→③は、出来事の時間的な順序であるが、①は過去に関する内容を含んでいる。
①では、まずわたしとお母さんが連絡を取り合うまでの経緯が記述され、その後にお母さんの手紙が引用される。そして、、広島で会う約束をするまでのことが記述される。
そして、お母さんの手紙の引用で、原爆投下直後赤ちゃんを預けてからの過去7年間の出来事でが明かされるのである。

場面分けに際しては、②、③についてはそれぞれ一つの場面とするが、①については、手紙の引用を一つの場面として、その前と後との3つに分けたい。

場面4(①の1)
始 「それから、長い年月がたちました。」
終 「それには、意外なことが書いてありました。」
場面5(①の2)
始 「――こんなに早く、あなた様からご返事がいただけるとは夢にも考えていませんでした。」
終 「(略)たずね人を出したわけでございます・・・・・・。」

場面6(①の3)
始 「『ありがとうございます。』」
終 「そういう返事を出しました。」
場面7(②)
始 「その年の夏、ちょうどあの日のように朝からぎらぎら暑い日、広島の駅で、(略)」
終 「『おおきに(ありがとう)。』と言ったきりでした。」
場面8(③)
始 「そのときの、何かヒロ子ちゃんの暗いかげが、いつまでもわたしは気になりました。」
終 「わたしもいつかヒロ子ちゃんのことを、忘れていくようでした。」

2014年1月22日水曜日

「ヒロシマのうた」場面分け3


 第1の時、原爆投下直後の部分には、3つの主たる内容がある、と考えた。そして、それぞれに対応させて文章を3つに区切り、場面と考える。

場面1 原爆投下直後の広島の惨状
 始 「わたしはとのとき、水兵だったのです。」
 終 「わたしたちは、練兵場の外れにある林の中にテントを張って、交代にねることになりました。」
場面2 わたしが赤ちゃんとお母さんに関わる
 始 「その夜、ふとわたしは赤んぼうの声を聞きました。」
 終 「とても人のことなど頭にうかばないし、見えないといった様子です。」
場面3 わたしが赤ちゃんを夫婦に託す
 始 「駅の近くまで行ったとき、やっとリアカーに荷物を積んでにげていく二人の人に会いました。」
 終 「戦争ということが、こんな悲しいものであることを、そのとき初めて知りました。」

さらに細分化することもできると思われる。
例えば、書き出しの3文を一つの場面として「前ばなし」部分と考える。そうすると、作品の最後の3文を「後ばなし」部分としてうまく対応させることができるように思える。
(広島に入って行く「わたし」⇔広島から離れていく「わたし」)
また、作品で示されている≪時≫や≪場≫に応じて、場面を一層細分化できるのかもしれない。
だが、その後の展開にとって、ここで重要なのは、先に見た3つの内容的なまとまりであり、「わたし―赤ちゃん・お母さん」、そして「わたし―赤ちゃん―夫婦」という≪人物≫の関係の設定である、と考える。

2014年1月21日火曜日

「ヒロシマのうた」場面分け2


 作品は次の1文で始まる。
「わたしは、そのとき水兵だったのです。」
そして、「そのとき」の始まりが「アメリカの飛行機が原爆を落とした日の夜、七日の午前3時ごろ」であったことが示される。
作品の終わりには、次のような文がある。
「わたしはそれを胸にかかえながら、いつまでも15年の年月の流れを考え続けていました。」
作品全体は、原爆投下直後からの「15年の年月」を「わたし」が回想して語る形となっている。
作品で語られる15年間は、の3つの時によって大きく分けられる。
◆第1の時 原爆投下直後
◆第2の時 戦争が終わって7年目
◆第3の時 今年(15年目)の夏
 
 第1の時の場面分けをしてみる。
 第1の時では、7日午前3時頃から8日朝の朝食時までほぼ1日のことが語られている。
 この部分の文章を場面分けしようとすると、なかなかうまくいかない。
 まず文章を分けることを意識せず、「時」、「場」をおさえながら、「わたし」の行動を拾い出してみる。

 ○7日午前3時頃 呉から広島へ
 ○7日夜明け~夜 広島駅裏の東練兵場 
・救護作業
 ○夜、作業後 東練兵場外れにある林の中のテント 
・就寝
・赤ん坊の声を聞く
 ○8日、深夜~夜明け(4時間) 広島駅 
・復旧作業
 ○8日夜明け テントのすぐ後ろ
・赤ちゃん、お母さんを見つける
  ・いったんテントへ戻る
  ・赤ちゃんを預かる
 ○駅の方へ
  ・赤ちゃんを渡す人を探す
・いったん戻ってお母さんの名札をもぎ取る
 ○広島駅の近く
  ・二人に赤ちゃんを引き渡す
 ○朝食時間 テントに戻る
  ・兵長にしかられなぐられる

 「人物」の観点から、またその後の筋の展開から内容として重要だと思わるのは、「わたし」が「赤ちゃん」と「そのお母さん」とかかわる内容、そして「わたし」が「赤ちゃん」を「二人」に託す内容である。
 こうした内容の前には、「わたし」が目にした原爆投下直後の惨状が濃密に描写されている。この描写部分にも作品として大きな意味があると思われる。
 場面として文章のどこで区切るか、を考える前に、内容として次の3つの重要な部分がある、と考えてみる。
(1)   原爆投下直後の広島の惨状
(2)   わたしと赤ちゃんとお母さんとの関わり
(3)   わたしが赤ちゃんを二人に託す

2014年1月13日月曜日

「ヒロシマのうた」場面分け1

 一つの作品がいくつかの部分(=場面)によって構成されているのは明らかなことだが、実際に作品の文章を場面に区切ろうとすると、なかなかすっきりとはいかない。
 二瓶先生は、「いつ(時)」、「どこ(場)」、「だれ(人物)」を観点として場面分けをせよ、と述べている。

 「ヒロシマのうた」は、「わたし」が語り手であり、一人称視点の作品である。
 「わたし」は、原爆投下直後の広島で一人の赤ちゃんと出会う。その子をめぐる15年間の思い出を「わたし」が回想する、という形で作品は語られていく。
 
 全体的な設定は、次のようになっている。

《時》
 ・原爆投下直後…昭和20年
 ・戦争が終わって7年目…昭和27年
 ・今年(15年目)の夏…昭和35年
《場》
 ・広島
《人物》
 ・わたし…語り手
 ・ミ子=ヒロ子
 ・ミ子のお母さん(生みの母)
 ・ヒロ子のお母さん(育ての母)
  ※ご主人 他

 「わたし」がミ子=ヒロ子と直接会うのは3度である。原爆投下直後の出会い、その7年後の夏の再会、そして15年後の夏の再々会である。 
 その間の出来事や状況については、語り手の直接的な語りによってではなく、手紙などによって間接的に読み手に伝えられる。人物の関係も込み入っている。 
 こうした作品の特徴が場面分けを難しくしているように思う。
 しかし、3つの《時》によって、作品が大きく3つの部分に分けられることは明らかである。
 まずは、作品全体を大きく3つの部分に分け、それぞれをさらに場面に分けていくことにする。 
 
 
 

2014年1月10日金曜日

物語の「自力読み」の力を獲得せよ~二瓶先生に学ぶ

 二瓶先生は、子どもたちに『物語の「自力読み」の力を獲得させよ』と提案する。そのためには、まずは教師自身が「自力読み」の力を獲得していなければならない。
 私たちに「自力読み」の力は獲得されているのか……。
 『物語の「自力読み」の力を獲得せよ』、私は自分にそう命じなければならない。

 『二瓶弘行の物語授業 教材研究の条件』という本がある。そこで、先生は、次のような教材研究の手順を示している。

 ①何場面構成か
   ・「時」「場」「人物」の観点から小さな場面分けをする
 ②基本4場面に分ける
   ・前ばなし・展開場面・クライマックス場面・後ばなし
 ③あらすじ
 ④前ばなし(大きな設定場面)の詳細な検討
   ・作品のおおもととなる「時」「場」「人物」
 ⑤クライマックス場面の詳細な検討
   ・最も大きく変わったことは何か、どのように変わったか、どうして変わったか
 ⑥前ばなしと後ばなし(その後場面)との対応
 ⑦「核となる話題」は何か
   ・中心発問=オンリーワンの発問を考える
 ⑧「核となる話題」で子どもたちが自分の読みをもつために
   必要不可欠な「重要話題」はどのようなものか、いくつあるか、
   展開場面のどの場面で設定すべきか
 ⑨視点・視点人物
 ⑩「作品の心」

 ここで示された二瓶先生の物語の授業論は、先輩教師たちが積み上げてきた三読法、発問づくりの歴史を引き継ぐものである。
 これを自分なりに整理してみる。

◆読みの過程
 (1)全体構造の読み
   ①場面分け
   ②基本4場面の把握
   ③あらすじの把握(場面ごとのまとめ)
 (2)詳細な読み
   ④前ばなしの詳細な検討(全体の設定の把握)
   ⑤クライマックス場面の詳細な検討(何が・どのように・なぜ変容したのか)
   ⑥前ばなしと後ばなしの対応の検討(変容の検討)
   ⑨視点・視点人物の検討(「表現」の検討)
 (3)主題の把握
   ⑩「作品の心」の検討
◆学習課題(発問)の検討
 (1)中心となる課題(中心発問)の検討
   ⑦「核となる話題」の検討
 (2)中心発問へつながる「重要な課題」(重要発問)の検討
   ⑧「重要話題」の検討

 二瓶先生の物語の授業論からほんとうに学ぶとは、二瓶学級の子どもたちと同じように『物語の「自力読み」の力を獲得する』ことでなければならない。
 そのためには、二瓶先生の方法によって、特定の作品を実際に教材研究してみなければならない。
 「ヒロシマのうた」が宿題になっていた。

2014年1月7日火曜日

物語の「自力読み」の力を獲得させよ

 昨年末、二瓶先生の『物語の「自力読み」の力を獲得させよ』がとうとう出版された。

 「初等教育」誌に「物語の『読みの力』再考」が掲載されてから3年。その間、『物語授業づくり一日講座』、『国語授業のつくり方』、『教材研究の条件』、『物語授業づくり入門編』と、物語の授業論に関する本が次々と発表されてきた。
 以前書いたように、二瓶先生の<再考>とは、先生がこれまでずっと追求してきた物語の読みの理論の再構築であった。そして、それは、多くの教室に先生の理論と実践を広げていくためのものであった。
 ここ数年発表された本の講座というスタイルは、まさにそうした意図にふさわしいものだった。

 十五年ほども前だろうか。
 私が初めて二瓶先生の授業を見たのは、「総合的な学習の時間」が新設され、みなが「総合」に関心を集中させていた頃だった。
 その頃は、「総合」だけでなく教科においても、子供の主体的な学習活動の重視とともに、教師の役割として「支援」が強調されていた。
そして、その時の学習指導要領における国語科の改善では、特に「文学的な文章の詳細な読解」の授業が攻撃対象となっていた。「気持ち悪いほど人物の気持ちをほじくり返す」授業なんて馬鹿にされていた。
 学習指導要領の改訂のたびに流行現象がおこる。流行は極端な方向に進みがちで、いつも喜劇がつきまとう。
 子供の主体的な(?)学習活動だけの授業。支援しかしない教師。「気持ち悪いほど気持ちの読みを避けた」物語の授業。紙芝居づくりに読むこと以上に時間をかけた物語の授業。
 その頃の流行語のひとつに「不易流行」という言葉があったが、「不易」を忘れて「流行」だけを追う喜劇が演じられていた。それによって、これまで多くの先輩教師たちによって積み上げられてきた「不易」へ向かう努力が忘れ去られていった。
 私が出会った二瓶先生の授業は、「新しい」と感じさせるものであった。だが、それは、「流行」としての「新しさ」ではなく、多くの先輩教師たちが歩んできた道の一歩先にある「新しさ」だった。
 私自身、喜劇とは無縁ではなかった。二瓶先生によって与えられたのは、自分もまた喜劇を演じているという自覚だった。

  流行ばかりを追っていると失われるものがある。
 私たち世代が先のような喜劇を演じ続けた間に、先輩教師たちが積み上げてきた「物語の読みの授業」についての理論的実践的な探求の歴史が失われてきた。このままでは、新しい世代は、そうした歴史的な財産にアクセスできなくなってしまう。
 『物語の「自力読み」の力を獲得させよ』という二瓶先生の提案は、「不易流行」の歴史を新しい世代へ手渡していく試みなのである。