2014年1月13日月曜日

「ヒロシマのうた」場面分け1

 一つの作品がいくつかの部分(=場面)によって構成されているのは明らかなことだが、実際に作品の文章を場面に区切ろうとすると、なかなかすっきりとはいかない。
 二瓶先生は、「いつ(時)」、「どこ(場)」、「だれ(人物)」を観点として場面分けをせよ、と述べている。

 「ヒロシマのうた」は、「わたし」が語り手であり、一人称視点の作品である。
 「わたし」は、原爆投下直後の広島で一人の赤ちゃんと出会う。その子をめぐる15年間の思い出を「わたし」が回想する、という形で作品は語られていく。
 
 全体的な設定は、次のようになっている。

《時》
 ・原爆投下直後…昭和20年
 ・戦争が終わって7年目…昭和27年
 ・今年(15年目)の夏…昭和35年
《場》
 ・広島
《人物》
 ・わたし…語り手
 ・ミ子=ヒロ子
 ・ミ子のお母さん(生みの母)
 ・ヒロ子のお母さん(育ての母)
  ※ご主人 他

 「わたし」がミ子=ヒロ子と直接会うのは3度である。原爆投下直後の出会い、その7年後の夏の再会、そして15年後の夏の再々会である。 
 その間の出来事や状況については、語り手の直接的な語りによってではなく、手紙などによって間接的に読み手に伝えられる。人物の関係も込み入っている。 
 こうした作品の特徴が場面分けを難しくしているように思う。
 しかし、3つの《時》によって、作品が大きく3つの部分に分けられることは明らかである。
 まずは、作品全体を大きく3つの部分に分け、それぞれをさらに場面に分けていくことにする。 
 
 
 

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