作品は次の1文で始まる。
「わたしは、そのとき水兵だったのです。」
そして、「そのとき」の始まりが「アメリカの飛行機が原爆を落とした日の夜、七日の午前3時ごろ」であったことが示される。
作品の終わりには、次のような文がある。
「わたしはそれを胸にかかえながら、いつまでも15年の年月の流れを考え続けていました。」
作品全体は、原爆投下直後からの「15年の年月」を「わたし」が回想して語る形となっている。
作品で語られる15年間は、の3つの時によって大きく分けられる。
◆第1の時 原爆投下直後
◆第2の時 戦争が終わって7年目
◆第3の時 今年(15年目)の夏
第1の時の場面分けをしてみる。
第1の時では、7日午前3時頃から8日朝の朝食時までほぼ1日のことが語られている。
この部分の文章を場面分けしようとすると、なかなかうまくいかない。
まず文章を分けることを意識せず、「時」、「場」をおさえながら、「わたし」の行動を拾い出してみる。
○7日午前3時頃 呉から広島へ
○7日夜明け~夜 広島駅裏の東練兵場
・救護作業
○夜、作業後 東練兵場外れにある林の中のテント
・就寝
・赤ん坊の声を聞く
○8日、深夜~夜明け(4時間) 広島駅
・復旧作業
○8日夜明け テントのすぐ後ろ
・赤ちゃん、お母さんを見つける
・いったんテントへ戻る
・赤ちゃんを預かる
○駅の方へ
・赤ちゃんを渡す人を探す
・いったん戻ってお母さんの名札をもぎ取る
○広島駅の近く
・二人に赤ちゃんを引き渡す
○朝食時間 テントに戻る
・兵長にしかられなぐられる
「人物」の観点から、またその後の筋の展開から内容として重要だと思わるのは、「わたし」が「赤ちゃん」と「そのお母さん」とかかわる内容、そして「わたし」が「赤ちゃん」を「二人」に託す内容である。
こうした内容の前には、「わたし」が目にした原爆投下直後の惨状が濃密に描写されている。この描写部分にも作品として大きな意味があると思われる。
場面として文章のどこで区切るか、を考える前に、内容として次の3つの重要な部分がある、と考えてみる。
(1)
原爆投下直後の広島の惨状
(2)
わたしと赤ちゃんとお母さんとの関わり
(3)
わたしが赤ちゃんを二人に託す
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